そろばん普及委員会
そろばんでの効果
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そろばん経験者の頭の中

そろばんをやっていても、大会に出場できることは容易ではありません。自分が出場したいと思っていても中々思うようにはいかないものです。

計算するスピード、それにともなう計算量と答えの正確さが求められます。大会出場選手たちは、どのように努力してその座を勝ち取っているのでしょうか。

常に頭の中にそろばんが

あまり記憶が定かではないのですが、覚えていることを紹介していきましょう。通っていたそろばん塾は、日本珠算連盟に加盟している塾でした。当時段位を取得していた自分に、先生から地区の予選大会に出てみないかと声がかかりました。同じく段位を取得していた妹と一緒に声をかけられたのです。

妹は2回目、自分は初めての経験でした。もちろん地区予選に出るのを二つ返事で引き受けました。その頃、すでに妹よりも珠算の実力が下だと感じていて、どうしても負けたくないという気持ちがあったのです。

特訓開始

そろばん塾のある日は月・水・金・土の週4回でした。自分が通っていた頃の後半は、土曜日はやっておらず、週3回になっていたような記憶があります。2教室あったのですが、自宅からすぐの教室に通っていました。

地区予選の塾からの選抜メンバーに選ばれてからは、日曜日も本番さながらの特訓が始まりました。午前中から弁当持参での特訓です。お昼まで厳しい大会練習をし、休憩には先生が必ず、高価なアイスクリームを全員に差し入れてくれました。

それで午前中の疲れも吹っ飛び、午後からも頑張るぞという気持ちになったものです。また、特訓の成果が中々現れない自分への苛立ちと、妹を超えることができない悔しさが、益々自分をそろばんにのめり込ませることになったのです。

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勝手に指が動く!?

いよいよ市内での地区予選開が、商工会議所で開かれました。市内から集まった強豪揃いの中で、とても緊張したのを覚えています。張り詰めた空気の中で計算するのはとてもプレッシャーがかかり、いつもの自分の実力を100%発揮することができませんでした。

思うように指が動かず、焦れば焦るほど益々指が動かない上に、頭まで回らなくなってきます。それまでの先生の特訓を思い出し、全てを無駄にしたくない、妹に負けたくないという気持ちが自分を奮い立たせてくれました。

結果は、妹共々、地区代表として珠算大会の出場権を勝ち取りました。初めての地区予選で予選突破ができ、飛び上がらんばかりに嬉しかったのを覚えています。家に帰り、結果を母に報告すると、姉妹で地区予選を突破して大会に出られることをとても自慢に思って、本人たちよりも大喜びだったのです。

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そろばんが日常生活に与える影響

いよいよ珠算大会です。ここまでこれたのが奇跡のようなものでした。全国大会を目指すほどの実力はありませんでしたが、ここまできたら、思い残すことのないよう、精一杯頑張ろうと思いました。

高校3年生の最後の学園祭と日程がぶつかってしまい、残念ながら学校を休んで珠算大会へと出場しました。JRの乗り継ぎを含めて5時間ほどかけ、地区代表珠算大会が行われる土地へと乗り込みました。地区予選ではライバルだった人達も、すでに地区代表として仲間になっていました。

大会開催

どこの会場かは失念してしまったのですが、どこかのホールか体育館のような場所で大会が開催されました。圧倒される人数です。驚くほどの机と椅子が並んでいました。こんな広い場所でそろばんを真剣になってはじくのは初めてでしたので、自分のペースで計算できるか不安でした。

不安は見事に適中することになります。しかし、例え自分の実力を120%発揮できたとしても、この大会のレベルは地区予選なんて比べものにならないレベルでした。他の出場選手は殆どそろばんを使用していません。その光景に驚きを隠せず、かなり動揺し、足元にも及ばないことを実感させられました。

結果は予想通りの予選落ちでしたが、高校生活最後の学園祭を犠牲にしてまで出場する価値のあるものでした。自分が大会に出られるくらいに指導してくださった先生には、心から感謝しています。

自分がそろばん塾から離れてかなりの年月が過ぎましたが、現在でもそのそろばん塾は優秀な生徒を輩出していて、数年前の大会では日本一の生徒も出ています。もちろん本人の努力と才能もありますが、ここまで素晴らしい指導力を持った先生に教えていただいたことを今でもこの先も、誇りに思っていきます。

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